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2020.09.29
秋学期が始まり一部の科目で対面授業が再開しました。授業開始日の9月24日はあいにくの曇り空でしたが、久しぶりに学生の皆さんがキャンパスに集い、笑顔で談笑している姿が見られました。教職員一同、皆さんを再びキャンパスに迎えることができ、心より嬉しく思っています。
自宅に籠ってオンライン授業を受講していた春学期の間、皆さんには様々なストレスがあったことと思います。特に4月2日以来キャンパスに来ることができなかった新入生は、思い描いていた大学生活とはかけ離れた日々を送ることになり、戸惑いも大きかったでしょう。新しい友達とのオンラインでの出会いには、何かが足りないと感じたかもしれません。人と人とが出会いことばを交わすという、普段私たちが何気なく行ってきたことの意味を、このコロナ禍は考えさせてくれました。つまり、現在の状況はコミュニケーションとは何かを考えるための、絶好の機会でもあるのです。
7月7日に本学部ホームページにアップされた第19回リレーエッセイのなかで、河原大輔先生はグローバルにウイルスが感染拡大する状況こそが、まさに「グローバル・コミュニケーション」であると指摘しておられます。ウイルスに感染することも英語ではcommunicateであり、ウイルスのコミュニケーションと人間のコミュニケーションは表裏一体なのです。
それゆえに、これら二つのコミュニケーションには様々な共通点があります。その一つが「目に見えない」ということです。ウイルスは目に見えないけれども確かに存在し、人体に感染(communicate)した後、喉の痛み、発熱、頭痛、倦怠感などの「症状」という目に見える形となって現れます。同じように、人間のコミュニケーションは、考えや感情といった「目に見えないもの」を「ことば」を使って「見える化」するプロセスです。「大切なものは目に見えない」――サン=テクジュペリの『星の王子様』のなかで、キツネが王子様にこう言います。医師が患者の症状の原因であるウイルスの存在に注意を向けるように、ことばとして表された事柄の本質を見抜く力が、人間のコミュニケーションには必要なのです。
人間のコミュニケーションは、時には他者を傷つけ、最悪の場合死に至らしめるという点も、ウイルスと共通しています。SNS上の心無いことばによって傷ついた人が自らの命を絶つという痛ましいニュースを、私たちは日々目にします。そして、コロナに感染しても無症状の人が知らず知らずのうちに感染を広げてしまうように、私たちが発した何気ないことばが誰かを傷つけることもあります。どちらのコミュニケーションにおいても、他者を思いやる心や、自らの行動や言動を冷静に顧みる態度が大切です。
けれども一方で、人はことばによって他者を慰め励まし、勇気や希望を与えることもできます。ことばを通じて互いの心を通わせることができるのは、人間のコミュニケーションだけが持つ特徴です。そして、この学部で皆さんが習得する外国語は、人と人を結び、より良い明日の世界を築く真のコミュニケーションのために役だってほしいと願っています。それを学ぶために、皆さんは今、ここにいるのです。
おかえりなさい。実りの季節を迎えたこの京田辺で、皆さんの学びもまた豊かなものとなるよう、私たち教職員も力を尽くしていきます。
グローバル・コミュニケーション学部学部長
玉井 史絵