グローバル・コミュニケーション(GC)学部が2011年4月に開設され、2021年3月末で10周年を迎えました。このタイミングでリレーメッセージのバトンをいただいた私は、今年度末に退職します。そこで、この10年間を振り返って、GC学部の授業をする中で学んだことを述べたいと思います。それは、月並みですが、授業は「応答」の営みだということです。
*「応答」から学ぶ:Progress in Writing
2011年以降、大学の英語科目とGC学部の様々な科目を担当してきましたが、特に印象に残っているのは、学部発足時から教えてきたProgress in Writing です。この授業は英語コース一年次の必修科目のひとつで、春学期にはパラグラフからエッセー作成までを学び、秋学期には1500語から2000語のエッセーを作成します。春学期にはオンラインの英作文指導ツールを使って、毎週300語程度の作文を書く課題が課され、かなりハードです。しかしGC学部の学生さんたちは優秀で、指導ツールでエッセーを採点されるのですが、学期の途中から皆高得点をあげるようになります。
このクラスの指導要領とテキストは、最初から変わっていませんが、教える側にとっては、毎年相貌が異なります。テキストに書いてあることを「伝授」するのが主眼ではなく、学生が毎週出してくれるエッセーを素材にして展開するクラスだからです。GC学部英語コースに入ってくる学生は、皆英語が好き(得意)で、英語を学びたいという意欲のある人たちですが、大学入学までの経験は様々で、最初から達者な文章を書く人もいれば、あまり書くことに慣れていない人もいます。年によって、その比率もまちまちです。提出される作文につける私のコメントも、人ごとに違ってきます。学期の初め、文法上の間違いが散見される場合は、片端から直しまくるのではなく、気を付けてほしい点を指摘して徐々にハードルをあげていくし、日本語的な発想が不自然な英語表現を生んでいる場合にはそれを指摘する必要があります。一方、最初から指導ツールの採点で高得点を取る人の作文の場合は、表現やニュアンスで気になるところなど、細かいことを指摘したくなります。この授業では満足すべきレベルでも、来年海外でエッセーを書くときには指摘されるかもしれない、と思うからです。書き手によって発想が違うので、「一見よさそうに見えるけど、なんか違うなあ」というとき、どうその違いを説明するかに頭をひねることもあります。こちらの説明力が問われるのです。
授業では、いくつかの作文をモデルにして、良いところを見てもらい、よく見られる間違いや、かなり高度な表現上の注意点などをシェアします。これが、毎年同じことを指摘する場合もあれば、その年によって異なる注意をすることもあり、不思議なものです。また、こうしたレビューやテキストの文法問題で、質問が次々に出て「ノッて」しまう学年もあります。そんな時、教師は喜んでしまっていろいろと説明するのですが、思いもかけない質問が出てきて、うまい説明の仕方を即時に思いつく必要に迫られることもあります。(そして「うまい」例を思いついて学生が「ああー(納得)」と言ったときにはうれしくなってしまう、というのも教師の性です。)以前中田先生がリレーメッセージで「即興の技」の重要性を論じておられましたが、それをこの授業でも感じさせられましたし、先に述べた説明力といい、その必要性が生じるのは、学生の「応答」があるからこそだと思います。
近年は、最初の頃に比べて、学生によるエッセーのピアレビューや文法問題解答の共同作業の比率が増えてきました。こうしたレビューについ時間をかけすぎ、テキストの進度が遅れ気味になる、といった失敗もあるのですが、学生さんたちは私のコメントよりも、お互いの作文を読みあって自分とは異なる発想を学び、間違いから学ぶことで力をつけているのだと思います。
*「応答力」と「底力」に支えられて: ジェンダー論、Cosmosのことなど
Special Topics in Cultural Issues1(ジェンダー論)の授業でも、応答のありがたみを感じました。この授業ではディスカッションは後半数回程度で、前半は講義中心ですが、リアクションペーパーによる応答を書いてもらいます。授業の大筋はそう大きく変えられないのですが、これは長すぎたとか関連が薄かったとか、反省(反応)をもとに変更を加えることはあって、例えば今年は、セクシュアリティの理論などについて、以前ほど長々としゃべるのを控えようと考え、説明を端折ったところがありました。すると、リアクションペーパーで何回か鋭い質問や指摘をもらい、端折らずにさらなる説明をすることになりました。答えきれない質問も多々あったのですが、そのような問題点を指摘し、意見をもらえることが、この授業にとってありがたいことでした。また、ついつい力が入って自分の「意見」を言うことも多かったのですが、それに対する反論も、もちろんいただいて、それがよかったですし、2013年以降この授業をGC学部で担当できたことは、私にとって大事なことでした。
学生の応答に支えられたという点では、Cosmos創刊のいきさつも忘れられません。2011年学部発足時、学会誌に加えて、学生と学部教員の機関紙を作ることになり、その編集に学生にも加わってもらおうと考えました。最初は、教員の構成する編集委員会に学生編集委員が加わる、というつもりでした。しかし、編集委員募集を伝えた結果集まってくれた、第一期生の各コースの学生たちの熱意とやる気が素晴らしく、企画から執筆、編集まで、学生主体でやってもらおうということになったのです。GC学部生の「底力」を感じた出来事でした。その変わらぬ「底力」を私は、昨年から今年にかけて、コロナ禍で海外での学習が困難になった時、その不自由な生活の中で有意義な「学び」を見出し、それを後輩に伝えようと頑張ってくれた学生の皆さんの中に再び見たのでした。
発足から10年、GC学部は、学生と同僚を送り出し、また新たに学生と同僚を迎えるという営みを続けてきました。時ならぬ悲しい別れもありましたが、一期生以降、数多くのGC学部を巣立った皆さんが様々なところで活躍されていることを、とても喜ばしく思います。そして、発足時と変わらぬ、応答力と底力を学部生の皆さんに発揮していただきたいし、それを活かしていける学部であり続けてほしいと願っています。