私たちは、新しい言葉を学び始めると、実は無意識に母国語に頼って習得を行っています。発音を学ぶ場合、常に自分の母国語から似ているような音を探すし、単語や文を学ぶときも、自分の母国語でどういう意味なのかを常に把握しようとしています。無意識のうちに、母国語でその言葉を理解し、解釈しようとするので、学習者に母国語の影響によるミスをよく見かけます。例えば、日本語と中国語は漢字で共通するところが多いですが、同じ形の漢字は必ず同じ意味とは限りません。しかし、2年間以上中国語を学んでいるのにも関わらず、中国語の「走(歩くという意味)」を日本語で「はしる」と訳す学生を時々見かけます。文法の面においても、常に日本語の語順で中国語の文を話したり、書いたりする学生もよく見かけます。もちろん母国語の影響が多大で、簡単に取り除くことができません。私自身は日本語を習得し、長らく使用しているのに、いまだに、日本語の他動詞と自動詞を知らないうちに間違えてしまいます。しかし、中国語習得をするとき、できるだけ母国語の影響を減少する方法があります。それは、中国語と日本語を意識的に比較し、その違いを理解することです。
言語研究には、二つ以上の異なる言語を、意味または形式から比較して、それぞれの特徴をより明確にする対照研究の研究方法があります。この研究方法は言葉の研究にだけではなく、言語教育や言語の習得にも役に立つと思います。中国語と日本語は、形式から見てもまったく違う種類の言語のようですが、言語研究や中国語教育を携わる中、両言語を対照的に考察することで、新しい発見がたくさんみられます。今回は、言語を対照的に見て、言語間の異同を理解することは、如何に私たちの中国語学習に活用できるのかについて話したいと思います。
発音の面からいうと、中国語の発音は日本語よりパターンが多く、中国語の母音と子音に日本語にない発音のものがあるので、初心者はよく日本語にない発音——巻舌音の「zh,ch,sh」などに気が取られて、一生懸命に練習するでしょう。しかし、発音の勉強が一通り終了し、2年生あたりになると、逆に日本語の発音に似ているものの発音ミスがしばしば耳に入ってきます。例えば、日本語の「ジ、チ、シ」の発音に似ている「j,q,x」の発音は常に舌の位置をやや高く、後ろよりにして、「zh,ch,sh」に近い間違った発音がよく2年生以上にみられます。一方、中国語の母音「u」は日本語の「ウ」と発音が似ているため、「u」を日本語の「ウ」と発音する学生も少なくありません。しかし、実際に、中国語の母音「u」は唇を丸め、突きだして発音する必要があり、特に複母音(複数の単母音の組み合わせ)を発音するとき、口の形を間違えると、発音も間違ってしまいます。このような問題は、やはり学習し始める時、中国語の発音を日本語の発音と比較し、似ているところと異なったところをしっかり把握することによって、避けることができるのではないかと思います。
冒頭の部分では、学習者によくみられる、日本語と中国語の形が同じですが、意味が全く違う漢字の誤用を紹介しました。実は、形が同じで、意味も似ているが、使い方が違う漢字は最も学習者を悩ませるものです。例えば、中国語の「住」という漢字は日本語の「住む」の意味に近いですが、「泊まる」の意味もあります。従って、日本語で「入院」を言う時は、中国語で「住院」になるし、旅行で「大阪に2泊する」場合は、「在大阪住两天」と言います。「住」という漢字を単純に日本語の漢字の知識で解釈すれば間違ってしまう場合があるでしょう。従って、中国語の学習では新出単語の意味を覚えるだけではなく、日本語に似ている漢字の場合、意味の違いや使い方の違いも意識的に学習すれば、中国語についての理解も日々高まっていくでしょう。
対照的な考え方は、言語を習得するときに、上述のような具体的な発音や表現の学習に役に立つだけではなく、言語現象にみられる文化の違いや発想の違いが発見できることも大きな醍醐味です。私は今年の秋学期から中国語の中級レベル以上の学生を対象とする「発信型日本学」という授業を担当しています。この授業では、受講者の皆さんが関心のある事象などについて調べるほか、如何に中国語語圏の人に発信するかも工夫しているので、興味深い発表がたくさんありました。そのうち、日本語を中国語と比べて気づいたことについての発表がいくつかあります。一つは、日本語の第一人称の言い方についての発表です。中国語は第一人称が基本的に「我(わたし)、我们(私たち)」しかないのに対し、日本語では場面や相手によって複数の第一人称(わたし、わたくし、ぼく、おれ、わしなど)を使い分けています。この発表は日本語の第一人称の言い方はそれぞれどの場面に使うのか、どんな働きがあるのか、及びなぜ使い分けが必要なのかについて説明し、「自我」に対しての認識が日本は中国と違うという結論にたどり着いたのです。もう一つ印象に残った発表は第二人称に対しての呼び方の発表です。日本語は相手を呼ぶ時、苗字や名前に「くん、さん、ちゃん、さま」などをつけて呼びかけますが、中国語にはこのような習慣がありません。この発表は「くん、さん、ちゃん、さま」のそれぞれの意味と使い方を説明し、さらにそれぞれの表現のイメージをどのように外国人に伝えるかも提案しました。他にも、中国語と比べて、日本語の擬音擬態語が発達している現象に着目し、日本の漫画を用いながら日本語の擬音擬態語の使い方や特徴を説明する興味深い発表などもありました。
これらの発表はどちらも中国語を学習しているうちに、日本語との違いに気づいたことによるものです。このように、母国語を無意識に使う時われわれにとって当たり前のことは、外国語の視線から見ると、不思議なことがこんなにあるのだと気づくのです。中国語を学んだことは自分の国の言葉や文化を見直すきっかけになったことは、教員の私にとって喜ばしいことです。さらに、言葉に留まらず、そこから見えてくる文化や考え方の違いにも探究しようとする姿勢は、まさにグローバル化社会に求められる「世界へ通じる対話力」につながるものです。
「世界へ通じる対話力」は、外国の方と話す時、習得した外国語を使える語学力だけではなく、自分や自分の国に関することを適切に伝え、更に相手の言葉や文化を深く理解することができる「真のコミュニケーション能力」です。グローバル化社会の現在は、私たちグローバル・コミュニケーション学部の学生にはこのような力が求められています。中国語には「知己知彼,百战不殆(彼を知り己を知れば百戦して殆うからず)」という言葉がありますが、コミュニケーションの場面にも「彼を知り己を知る」ことが望ましいでしょう。日々の語学学習に、外国語と母国語の比較を意識的に取り組むことは、「知己知彼」の第一歩になるかもしれません。