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トップページ ニュース一覧 第27回(2022年10月31日)

リレーメッセージ

Messages

「世界へ通じる対話力。」をキーワードに教員がさまざまなテーマについて、
それぞれの視点でコラムを執筆します。

第27回(2022年10月31日)英語コース吉田 優子教授

今回のテーマは英語コースの吉田優子教授による「『ロス』と向きあう - Keep Calm and Carry on」です。「始め有るものは必ず終わり有り」という言葉もありますが、私たちは誰しも人生の中で訪れる様々な「終わり」から逃れることはできません。予見できる「終わり」であればある程度心の準備もできるかもしれませんが、予見できない「終わり」に直面した時、またその「終わり」と自分との関係が近しい時ほど、多くの人が大きな心の喪失感(ロス)を抱えることになります。そうした時に私たちはどうロスと向き合い過ごすべきなのか。吉田教授自身の経験談を交えたメッセージを通して、ロスを乗り越え次の一歩に向かうための心の持ちようのヒントを感じ取ってもらえると幸いです。

「ロス」と向きあう – Keep Calm and Carry on

人一倍、新しいもの好きなのに変化への対応が大の苦手な私には、何かが終わるときに必ず訪れる「ロス」との闘いの毎日です。フェス後のフェス・ロス、ドラマ最終回後の推しロス、などなど、だれしも何かの変わり目には寂しい思いをするものですが、みんなコロナ禍においてはとりわけつらい思いをしましたね。私の場合も例にもれず、何かが音を立てて崩れてゆくような思いをしましたが、直近のロスは即位70周年のお祝いから数か月、エリザベス2世がお亡くなりになったニュースでした。皆さんはどのように「ロス」と向き合っていますか。

物事を始めるきっかけは時としてとても些細なことですが、上手く生きていくには機転を利かせてしっかり波に乗るのが大切です。そのためには「人事を尽くして天命を待つ」ことが必須で、イギリス的にはナチスとの戦線下、現れたスローガン、“Keep calm and carry on”の精神です。冷静に構えて、あきらめない、そしてそやってくる機転を逃さないこと、ある意味ロス状態にいるときには人は次のステップに向かって無意識にも懸命に自分を繋いでいます。

大きな夢ロスが高校生のときにありました。英語は得意だったので、先生方の応援もあって、交換留学の申請書を出し、希望したのはヨーロッパで、英語圏であることが保証されるアメリカではありませんでした。どうしてもイギリスか、イギリスに近い国に行きたかったのです。親から「イギリス(英語圏)が留学先ではなかったらどうするのか、言葉も分からないところに行くべきではない」といわれ、行き先は決まってからその土地の言葉を学び始めたらよい、と思っていました。新しい言語を学ぶことには根拠のない自信があって、これはスポーツ選手たちもよく口にするフレーズかもしれません。この自分でしか感じることのできない、「根拠のない」自信というものは実は大いに根拠がある、短いながらも自分の経験から出てくるものなので、信じていいものだと思っています。もちろん、客観的なサポートは見つけたほうが良いですけれど。しかし、親の心配が先に立ってしまい、クラブ活動中に教員室に呼び出され、親が願書を取り下げた、と告げられました。選考の結果なら受け入れようもあったかもしれませんが、自分からは申し出ていない棄権で、大きな夢が壊れた瞬間でした。しかし、英語の達人になるという目標は子供のころからぶれず、強くなってゆきました。

まだ英語も習っていない子供のころに6歳上の姉が買ってきたThe Beatlesの曲がどうしても歌いたくて、必死に歌詞を覚え、我が家では毎日、紅茶を頂く習慣があったので、常にロイヤルワラント(イギリス王室御用達の印)を見て育ちましたが、ロイヤルワラントによく似たロゴを持つQueenという名のバンドには必然のように惹かれていき、十代半ばではなくてはならない存在になっていました。アルバムの締めに演奏される “God Save the Queen”。イギリス国歌のギターバージョンで、これはエリザベス2世即位70周年のプラチナジュビリーの際にバッキンガム宮殿前で華やかに演奏された、あのギター演奏です。その数年後には私にも反抗期が訪れ、パンクバンドと共に女王を揶揄する形で違うGod Save the Queenを歌っていましたが!

大学ではもちろんイギリスの文化と英語を追求したくて、シェイクスピア劇のゼミで学び、英語の歴史的変化に興味を持ったことに端を発し、尽きない言語音への関心から理論言語学を専門にしています。非常に保守的な京都の町家から親の猛反対も乗り越え、ロンドン大学の大学院に留学、Tutorも務めました。元々イギリスに住みたいと思い始めたのは紅茶とイギリスの文化、そしてブリティッシュ・ロックへの執着でした。とにかく自分の目指すところはただ、英語の達人、でした。ここから本格的に “God save the Queen” と共に歩むことになるわけです。

永年、外国で生き残ってゆくのは大変です。ことあるごとにチャンスをつかまないといけません。留学先のロンドン大学の学長はエリザベス2世の娘であるアン王女です。ある年、大学の創立記念日に大学寮の代表として出席しました。そのような場にはほとんど東洋人の姿もない頃のこと。アン王女は真っ先に、その場にいた唯一の平たい顔の私の真ん前にこられ、 “What brought you here?”(どうしてこちらへ来られたの?)とお聞きになり、返答に戸惑うこと0.5秒、ロック好きだと言うのか??ラッキーでしたが、ちょうど学部生のころに、その創立記念式典でロンドン大学の名誉学位を受けられたRandolph Quirk先生の著書を部分的に読ませて頂いていたので、、、「Quirk先生の著書で勉強をさせて頂いておりましたので、もっと深く勉強がしたかったのです。」それは事実だけれど、その場に合わせた方便でした。友人たちは その「美談」に感嘆の声を上げ、同時にアン王女はほのかに微笑まれ、名誉学位を出した学者の業績の効果で、遠方から高い学費を払って留学生がきたと思って喜ばれ、言わなかったのですが、ごめんなさい、その時の私の学費は英国政府からの奨学金でした。(もちろん、そこまで到達するのに親には沢山、世話になりましたが。)その読んだ著書の一部とは韻律の議論で、後の博士論文のトピックは韻律でしたので、実際、効果的だったのです。ここで得られたのは仲間と寮長の信頼感でした。私は言語学部所属で、英語学部の先生とは普段は交流もありませんでしたが、後日、寮のハイ・テーブルのイベントにはQuirk先生が招かれ、お食事をご一緒させて頂き、寮長の専門は数学であったので、専門の近い私にディスカッションを任され、日本語と英語の違いについて意見交換できたのは特筆すべき経験でした。また、現実的なところでは、物価の高いロンドンですから、本来、永く滞在するのは難しい大学寮の良い部屋を博士論文が終わるまでシニア・メンバー(フロアの代表なので様々な業務はあったけれど)として安心して使わせてもらえたのが何よりでした。

さて、イギリス国内でもそうそう国歌であるGod Save the Queenを歌うという機会はなく、むしろ、World Cupなどのほうが聞いているようにも思います。在外研究時に連れて行った子供が通っていたThe Queen’s Schoolのお友達一家に誘われて英国国教会の礼拝に行った時のこと、その日は戦没者追悼の日であり、日本の捕虜となっていた方のご家族もおられ、冷ややかな注目を浴びてしまった。ちょっと悲壮な気持ちではあったけれど、この特別な礼拝の日には国歌斉唱があり、子供のころから合唱団に入っていたので周りのイギリス人より大声で熱唱することになり、なにか事情のある東洋人であろうと思っていただけたのか、周りからは笑みまで頂き、救われました。

時はいつの日にも親切な友達、過ぎてゆくきのうを物語にかえる(12月の雨,作詞作曲:荒井由実,1974年

日にち薬、とはよく言ったものです。人生最大のロスで未だに引きずっているのは6年前に46歳という若さで突然事故で亡くなってしまった夫ロスでしょう。先人の話は経験に基づいていて、納得のいくことが多いものだと思ったのもここからです。たまに耳にする、伴侶が亡くなって後を追うように亡くなったというのが、それまでは理解できなかったのですが、ショックで内臓がストライキを起こしたかのように、機能しなくなるのです。もともと弱っている人ならば後追いというのも自然なことのようにも思えました。3年ほどたった時に国内研究という貴重な期間を頂き、自分を立て直し、新しい研究をイタリア語のデータを収集して始めようと思った矢先です。そう、2020年年明け、コロナ禍にイタリアから突入、目の前が真っ暗になりました。イタリア・ロス、もう若くない私にもこのように希望の芽を摘む出来事は起こりました。しかたがありません。粛々と、できることを続けて時が熟すのを待つしかありません。ここでこの話をしているのも日にち薬のお蔭かもしれません。まだまだ物語にはなっていませんが!

不運とか、幸運とか、他の人と比べるものではありません。ただ、共感は必要だと思います。それぞれに戦っていて、静かに頑張り続けていることは他人には見えませんが、みんな戦っています。抱えている重荷は皆違いますから、自分は自分、くじけてもいいんです、きちんと休みましょう。そして元気になったら、また、keep calm and carry on.

リズ(エリザベスの愛称)が亡くなってから時がたち、幾分和らいできたリズ・ロスですが、エリザベス2世は非常に機会をつかむのが上手な人でした。彼女の一生は常に今のように国民からの人気を博していたわけではありません。斜陽の英国と言われた時代を生き、大英帝国から植民地国は徐々に独立してゆき、即位中に幾度となく不景気がおとずれました。公平さに大きな価値観を見出すイギリス国民が、飛びぬけて優雅な暮らしをしている王室に対して黙っているはずはなく、ウィンザー城のカーテンが過熱したライトから引火、ボヤがでたときのこと、国民の関心はその「お宅」の修理の財源に向かいました。税金で「個人のお宅」の修理をするのは筋が違うという、反発が大きく、リズは私費で修理をされたという報道は印象的でした。

チャールズ(当時)皇太子の不倫の噂がたけなわのころ、苦しんでいたダイアナ妃に女王は「静かにやり過ごしなさい。過ぎていくから。」とアドバイスされたといいます。“Keep calm and carry on”というところでしょうか。ダイアナ妃が王室を去られたあと、事故死してしまわれたときに国民のダイアナ妃ロスが起こりました。離婚を決めた女王に対する恨みのような感情まで巻き起こってくる中、女王は5日間沈黙を続けた後、国民に向かって、戦中に父親が王位についたときに長子である自分がいずれは英国を統治することとなることを覚悟し、国民に寄り添う決意を表明した、あのスピーチと同様、自分もまた自分の孫、家族のことを思う一個人であることを話されたのです。コロナ禍でのスピーチもそうであったように、女王自身もある家族の一員であり、家族や仲間を思う一人であることを国民と共有して、自分たちに寄り添うスピーチを聞けたことで国民のダイアナ妃ロスは和らいでゆきました。

エリザベス女王亡き後、通貨もデザインが女王から新王へと変わり、王室御用達の印、ロイヤル・ワラントもエリザベス女王のものであり、失効しましたから、紅茶、ジンなどの製造社はまた新王に対して申請のし直しをしなければなりません。

なくなる二日前までトラス新首相(45日間の在職で、レタスのほうが長持ちと揶揄されている)を任命する大役を果たされ、70年間という膨大な時間を自国と英連邦に君臨されてきたエリザベス女王。リズ・ロスと同時に私の中で何かが終わるのを感じたのですが、そこここで「ある時代が終わった」、というコメントが聞かれました。時代の終わりというのは、そのような心持の変化なのかと思います。—Keep calm and carry on—