グローバル・コミュニケーション(GC)学部の英語コースと中国語コースでは全ての学生に1年間のStudy Abroad(SA)を義務付けています。学部の開設以来、SAを終えて帰ってきた学生をたくさん見てきましたが、誰もがみな口を揃えて「本当に行ってよかった」と言います。外国で生活し、現地の大学に通うというのは中途半端な気持ちでできることではありません。出発前には色々な準備や調整が必要になります。家族や友人と離れての生活になることはもちろん、開始前には予想していなかった困難に出会うことも珍しくありません。しかしそれだけに、SAを終えて帰国した学生たちの表情には大きな喜びと自信がみなぎっています。
世の中はIT時代。世界中がインターネット回線で結ばれ、遠く離れた国の人たちとリアルタイムでのコミュニケーションが可能です。そのような中で、「留学なんていうものが本当に必要なんだろうか?」と疑問を感じる人もいるでしょう。外国語でのリーディング力を磨きたければ、その言語で書かれたテキストがネット上にいくらでも転がっています。リスニング力を高めたければ、ストリーミング動画を視聴すれば良いでしょう。語学にとどまらない幅広い知識を得たいということであれば、今や世界の名門大学が授業の動画をYouTubeやiTunes Uで無料公開しています。それでもGC学部の学生たちが1年間のSAで得てきたものを目にすると、留学を経験することの意義を思い知らされます。
様々な困難を乗り越えてSAに挑戦することの意義は、現地での「一人称的体験」にあるのではないかと思います。外国語の学習に関して言うと、ある種の体験を得ることはどうしても国内では困難です。学ぶべき語句の表面的な意味は辞書にしっかり記されています。しかし実際の意味のかなりの部分は、別の言葉で説明されるような「内容的」意味ではなく、特定の場面に身を置いて初めて知覚される「雰囲気」であったり、状況を特定の文化的視点から捉えたときに初めて浮かび上がる「感覚」であったりします。実際の経験を通じて、そういった意味の1つ1つが頭の中の単語帳に記された単なる「項目」であることを止め、世界を表現する自分自身の「声」になっていきます。
一人称的体験は言葉だけでなく、思考や世界観にも及びます。SA先では現地のクラスメイトや教授たち、あるいはホームステイ先の人々とのコミュニケーションを通じて、自分自身の考え方や自国の文化・風習といったものが否応なしに相対化されます。そうして多くの物事に様々な側面があることを学びます。また自分とは異なる側面から物を見る人たちに敬意を払うことが、自分に対する敬意を獲得することにつながることを知ります。このような「気づき」を文字で綴ることはもちろん可能ですが、本質は経験によってしか得られません。
一人称的体験はより内的な領域にも及びます。留学にはある種の「孤独」が付きまといます。私たちは日常の中で多かれ少なかれ孤独を感じながら生きていますが、国内にいる限り、振り返ればそこには自分を知るたくさんの人々がおり、慣れ親しんだ環境の中で自分を位置付けることが可能です。一方、外国では事情が異なります。留学先で感じる孤独は、より深くて冷たいものかもしれません。本当の意味で自分を一人の人間として見つめ直すことを強いられます。しかし、これを乗り越えてきた学生たちの表情には、それまでと違った強さが感じられます。
ITの発達に伴い世の中はますます便利になっています。「コミュニケーションにもはや国境はない」「世界のあらゆる知識はネット上で習得可能だ」といった主張も、あながち間違いではないでしょう。しかし、私たちはみな自分自身の目で世界を捉えなければなりません。表面的な知識を増やすだけでなく、意志を持った主体として成長するには、一人称的な体験が不可欠であり、そのために留学は非常に有効です。誰もがPCやスマホでネットに繋がっており、あらゆる情報にアクセスできる時代だからこそ、経験から得られる目に見えない価値を求め、GC学部でのSAに挑戦してほしいと思います。