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リレーメッセージ

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「世界へ通じる対話力。」をキーワードに教員がさまざまなテーマについて、
それぞれの視点でコラムを執筆します。

第15回(2017年3月29日)英語コース中田 賀之教授

いよいよ今年4月から、グローバル・コミュニケーション学部の英語コースで、英語の教職課程が始まります。みなさんは英語教師にどのようなイメージを持っていますか。
今回のテーマは、「英語教師という職業の魅力とは!」というテーマです。
英語コースの中田賀之教授が、これまでお会いした魅力ある先生方のお話とともに、なぜこの職業が人を惹き付けるのか、その魅力についてお話しします。

英語教師という職業の魅力とは!
ジャズ奏者にとっての音楽と
英語教師にとっての授業をつなぐ「即興の技」

 英語教師と言っても、大学で英語を教える先生、中学校や高校で英語を教える先生、小学校で他の教科も教えつつ外国語活動の授業を担当する先生、英会話学校の先生、塾で英語を教える先生、など様々なレベルで英語を教える先生がいます。ここでは中学校や高校など学校で英語を教える教師の魅力について考えてみたいと思います。

 私自身、これまで英語教師教育に携わってきました。たくさんの英語教師とお会いしてきましたが、先生がたの英語教師になろうと思った理由は、本当に様々です。「素晴らしい英語の先生に教わったおかげで、英語が飛躍的に伸びたから。」「英語の授業はいつも楽しかったから。」「英語が得意なので、その力を生かした職業だから。」「子供たちの視野を広げたい。」という人が多数を占めますが、中には「以前教わった英語の先生があまりにひどかったので、自分が良い英語教師になろうと思った。」という人までいました。彼らのほぼ全ての人が「英語教師になって本当に良かった。」と言っています。

 他方で、興味はあったけれども、結局英語の先生にならなかった人たちの声を聞く事もあります。その理由には、「英語力に自信がなかったから。」「英語は好きだけど、人に教えることに自信がない。」「安定しているかもしれないが、決して収入が多い職業ではない。」などがあります。何れにしても英語教師という職業には多くの魅力があると認識している人が多いことは間違いないようです。

 では、英語教師という職業の魅力とはどこにあるのでしょうか。ちょうど100年前、アメリカの教育哲学者ジョン・デューイは次のように述べています。「ある人の能力が他の人の能力と量的にどのように相違するかということは、教師にかかわりのある事柄ではない。… 必要なことは、あらゆる個人が、意味のある活動において自分自身の力を使用する機会を持つようにすることである」(Dewey 1916訳 松野 1975, p.273)。教師はともすると生徒の成績とかその順位ばかりに気がとられがちですが、生徒の人間的な成長を考えたとき、授業において、英語が得意な生徒も不得意な生徒も、英語学習に取り組み、挑戦し、それぞれにとって意味のある学びと経験の場にすることが教師の役割である、という主張であると私なりに解釈しています。このことは、一世紀を経た今でも、とても重要な言葉と思います。

 学校において英語を教えるということは、生徒が自らの力で自分の視野を広げることの「手助け」をすることです。英語という母語とは違う言語を用いて、my Englishを使って自分の言いたいことを相手に伝え、英語力がより高いまたは低い相手とコミュニケーションをとろうとする、また互いに協力する、その行為の質が大切なのです。そこでの経験の成果は、成績における変化などに、授業の担当の期間にあらわれるとは限りません。何年もしてから、「大変だったけど、とてもやりがいがあった。それが今の自分につながっている」と教え子から聞く事になるかもしれません。

 教育において授業の準備をする上で、教材研究や指導案の作成は確かに前提条件です。しかし同時に、授業は生き物であることを忘れてはいけません。授業は様々な背景を持つ生徒たちと特有の特徴を持つ教師とが、共同作業で取り組むことで、教師にとっても生徒にとっても内省することが求められることになり、それゆえに良質の学びの場になります。

 英語教師にとっての最高栄誉とされるパーマー賞を受賞された稲岡章代先生は次のようにおっしゃっています。

 授業において一番大切なことは、生徒と一緒に授業をおこなっていくことだろう。教師も生徒も自分の言葉(My English)を使い、個人の個性や創造性を大切にした授業づくりをしていきたい。人はコミュニケーションによって情報のやりとりをするが、 情報だけではなく、文字に表しきれない大切なものも一緒に運んでいる。授業を通して、生徒たちにもそのことも気づかせたい。(稲岡, 2015, p. 69)

 これまで稲岡先生のような多くの素晴らしい英語の先生がたにお会いする機会に恵まれてきましたが、その先生がたの生徒たちが後にどのようになったかを聞くたびに、「授業における学びや経験の質がいかに大切であるか」に気づかされてきました。

 話は変わりますが、10年以上前に大阪にブルーノートというジャズ・クラブがあり、ロン・カーターという著名なジャズ・ベーシストのコンサートに行ったことがあります。ジャズの演奏は、どこからが始まりで、誰が始めるのかも分かりません。聴衆の前でも、いろいろ話したり、それぞれが軽く演奏したりしながら、みんなで調整しながら、いつの間にか演奏がスタートしていると気づくことが多いです。彼らにはそれなりの準備も経験もあるでしょう。しかし、演奏をしながら、流れの中でより良い演奏になるように、失敗も楽しみながら、互いが成長できるように、いわゆるimprovisationをしつつ、コミュニケーションとっていることは、私のような素人目にもわかりました。彼らの楽しそうに演奏する姿は、今でも私の目に焼き付いています。

 シュヴィーンホルスト(2011, p. 101)は、ジャズ・ミュージシャンのジャン・ガルバレクの「うまく行くこともあるし、失敗することもある。しかし、即興とはそういうものだ。」という言葉を引用しつつ、英語の授業においては置かれた場面での「即興の技」と「誤りを許容するストレスのない環境における相互作用」が大切としています。2013年に文部科学省が提示した指導要領には「英語の授業は英語で」と謳われていますが、英語での授業においては、置かれた場面で、対象となる生徒が自らの力での発話を促すための適切な言い換え(rephrase)や誘い出し(elicitation)が必要となります。どんな反応が来るかもしれないので、教師としては不安もあるけど、そこに面白さがあり、「即興の技」が生きる可能性があるのです。ジャズ奏者と同じように、英語での授業では、そのような機会を教師自身が「楽しむ」ことが大切です。

 英語の授業で、ペアワークやグループワークをすると、英語力の高い生徒は英語が不得意な生徒と一緒にやるのをいやがることがあると、教師から聞く事がありますが、そもそもコミュニケーションは様々な背景がある人が行うもので、その調整力こそが英語力でもあるのです。そこには、安心できる環境で学び合えるような「学びの経験の質」の可能性が秘められているので、そこに教師の環境づくりの役割があるでしょう。Capable Peers(より力のある学習者(教師も含む))とLess Capable Peers(より力の劣る学習者)とが対話をする中に、双方が一緒に学び合う・教え合う力やコミュニケーション力をつける機会、つまり最近接発達領域(Zone of Proximal Development)が生まれるのです(Vygotsky, 1978, 1986)。

 そのような即興の技が生かされるような教室は、まさに「コミュニケーションの宝庫」です。英語力も学習・留学経験も様々な生徒がいるからこそ、また安心して挑戦できる場であるからこそ、教師にも様々な生徒にもそこに即興の技を使う可能性が秘められているのです。

 ジャズと同じように、授業(特に英語による授業)は生き物です。生徒のちょっとした言葉から、いかに展開させていって、他の生徒を巻き込み、生徒の背景を考えつつ、多くの生徒の理解を深めていくか、教師にはそのような「即興の技」が求められています。

 音楽でも授業でも、どれだけ準備したところで、完全なパーフォーマンスをすることはほぼ不可能です。しかし、ジャズ奏者であれ英語教師であれ、即興の技の礎となるのは、それが出来るようになるまでの長年にわたる準備の蓄積と試行錯誤の経験です。「私自身は、人の倍以上は失敗していると思います。… こっちが意図しないような答えを生徒が返したときのリアクションとかフィードバックは修行を積んでいると思います。なかなか答えが返ってこない場合とか、答えを出そうと思ってヒントを与えれば与えるほど路頭に迷わせた事もあるし、授業のあとの失敗やノートやメモは何十冊となっていると思います。」(稲岡, 2015「座談会」)。稲岡先生の即興の技も、失敗を振り返り改善を繰り返しつつ、長い年月をかけて作り上げた賜物なのです。ここに、生徒と教師の成長の可能性があります。

 英語教師という職業には、生徒が多感な時期に英語という言葉をつかって視野を広げ、他者を理解し、自身を見つめ、人とコミュニケーションをとりながら、人として成長していく過程に関わることのできる、計り知れない魅力があります。英語教師、それは終わりのない試行錯誤の連続という楽しみを与えてくれる職業ではないでしょうか。

参考文献
稲岡章代 (2015) 「中学校における教室内英語と学習者オートノミー」「座談会」中田賀之(編)『自分で学んでいける生徒を育てる—学習者オートノミーへの挑戦』(pp. 57–69) 東京:ひつじ書房
シュヴィーンホルスト・クラウス(2011). 「即興の技」青木直子・中田賀之(編)(2011).『学習者オートノミー:日本語教育と外国語教育の未来のために』(pp. 91–122). 東京:ひつじ書房
Dewey, J. (1916). Democracy and education. New York: Macmillan. (松野安男 訳 (1975) 「民主主義と教育」岩波書店)
Vygotsky, L.S. (1978). Mind in Society. Cambridge. MA: Harvard University Press.
Vygotsky, L. S. (1986). Thought and Language (A. Kozulin, Ed.). Cambridge, Mass: MIT press.