Doshisha University
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リレーメッセージ

Messages

「世界へ通じる対話力。」をキーワードに教員がさまざまなテーマについて、
それぞれの視点でコラムを執筆します。

第7回英語コース寺西 隆弘専任講師

同志社大学は1875年の同志社英学校の創立以来、「国際主義」を教育理念に掲げ、世界の多様な社会と密接に関わってきました。その伝統をさらに充実・発展させ、現代のグローバル化社会にふさわしい学びの場として、グローバル・コミュニケーション学部は誕生しました。リレーメッセージ第七号のテーマはずばり「グローバル・コミュニケーションとは何か?」。英語コースの寺西隆弘専任講師からのメッセージです。みなさんも一緒に考えてみてください。

グローバル・コミュニケーション

「私はグローバル・コミュニケーション学専攻です。」、「えっ、何ですか。」、「グローバル・コミュニケーションです。」、「グローバルねぇ…コミュニケーションねぇ…。」

グローバル・コミュニケーションとは何か、考えてみる。普通に考えてみると、グローバル化とはインターネット、高速大量輸送、それらに伴うボーダレス化により、世界が狭くなっていくことを示す、らしい。もともと狭いはずの日本がもっと狭くなっていくのだろうか。世界(ここでは特定の先進国)のイメージで日本を書き換えることが、グローバル化だという人もいる。これは、そもそも良いことなのか悪いことなのか、可能なのか不可能なのか。何だかわからなくなってきた。

グローバル化を受け入れるのであれば、「内」と「外」の概念はなくなるはずだが、現実には、区別、差別、格差はそのままというところがあれば、ひどくなったというところもある。自分のアイデンティティを守るためには(自分より弱い)相手が必要になってくるし、そうなれば「内」に新たな区別、差別、格差が出てくるということも十分ありえる。

また、モノやお金、情報はボーダーレスになる(なりえる)。が、人の流れは同じようにはいかない。人には「身体」がくっついている。その上、価値観の違いや道徳意識の差、宗教的信念があるため、境界がなくなるということは金輪際ありえない。ますますわからなくなってきた。

ところで、コミュニケーションの方は大丈夫だろうか?ええっと、コミュニケーションとはそもそも…。こちらも問題がありそうだ。人には「身体」がくっついていると言ったが、コミュニケーションで重要なことの一つに「周りとの正しい距離」がある。通常、親しい間柄、例えば、家族や親戚、友達の間の距離は近い。もともと近い距離間では、頻繁なコミュニケーションは基本的に必要ない。よってせまい範囲のコミュニケーションではコミュニケーション能力は向上しない。もう少し遠い距離を持った周りが必要である。遠い距離を持った周りの代表は、1)大人、2)外国人。親以外の大人の代表は「先生」。「先生」とコミュニケーションをとり、海外へ行く。そうすればコミュニケーション能力は向上する。なるほど。

もう一つ、コミュニケーションでは「変化」ということを考えた方が良い。「私」も「周り」も時間の流れに従い生きている。話すテーマ・内容はめまぐるしく変化し、気持ちも体調も変わっていく。だいたい、やる・やらない、可・不可のような二者択一における選択だけでも、時間の流れに従えばその変化は無限ということになる。生きていく上での選択肢はもっと多い。もっとも選択する事柄がすべて決まっていたら、コミュニケーションは成立しないが。

さてさて、どこを目指せばグローバル・コミュニケーションにたどりつくのか。人間は元々世界的にものを考える、あるいは世界的に行動することなどできない。グローバル・スタンダードは錯覚であり、単なる空想に過ぎない。日がな一日小さな画面を覗き込み、あるいは夜中までカチカチクリックし続けたとしても、自分の方に向かって世界が開かれるというようなことは一切ない。ただ世界に向かって自分を開いていくことはできる(無茶苦茶努力すればの話であるが)。「世界に向かって自分を開く」とはどういうことか、何をどうすれば自分を開くことができるのか、よく考えてみよう。