海外各国からGCへ留学中の学生が、日本での学びをレポート。
日本で出合った新鮮な体験を生き生きと伝えます。
2019.10.11
母語教室
私は、大学生になってから、ある国際交流センターの「母語教室」でボランティアを始めました。この「母語教室」の対象は主に外国にルーツを持つ在日外国人の子どもたちです。今回のレポートでは、私が支援する中国にルーツを持つ子どもたちのことを中心に、さまざまな国にルーツを持つ在日外国人の子どもたちについて書きたいと思います。
この子どもたちは大体2つのグループに分かれています。一つは、日本で生まれ育ったので、日本語以外の言語と触れ合う機会がかなり少ない子どもたちのグループです。もう一つは、日本に来たばかりで、日本語を使いこなすことがまだできない子どもたちのグループです。子どもたちはこの「母語教室」を利用することで、日本にいながらにして自分のルーツと触れ合うことができます。現在「母語教室」には、中国語・タイ語・スペイン語という3つの教室があります。各教室では、同じルーツを持つ子どもと出会うことができ、仲間作りの場所でもあります。さらに、自分のルーツを忘れないようにするだけではなく、同時に他国の文化と接触することもできます(料理と踊りなど)。
この「母語教室」のうち、私がお手伝いをしている中国語の「母語教室」に通う子どもたちの中国語レベルはそれぞれです。しかし、唯一の共通点としては、ピンインが弱いです。周知のように、日本語の中ではひらがなとカタカナがかなり大事な役割を果たしています。ひらがなとカタカナができないと、日本語ができるとは言えないのではないでしょうか。中国語の場合も同じです。そこで、私はこの「母語教室」で主に中国語の基礎であるピンインを使いこなせるように教えています。そのほか、漢字筆画の書き順、対義語と擬人法など、幅広く基礎的な中国語を教えています。また、各国文化を伝えるため、不定期的に各種の活動が行われています。これらの活動は全「母語教室」の子どもたちの全員参加が恒例なので、異なる文化圏の子どもたちと触れ合うことができる機会となっています。一例をあげると、昨年の12月に、私は全ての「母語教室」の子どもたちと一緒に中華料理として定番の水餃子を360個も作りました。
ところで、私には日本で知り合った在日外国人またはハーフの友達が何人かがいます。彼らのルーツを知ると、しばしば私たちは、「じゃあ、◯◯語しゃべれるか?」と聞いてしまいがちです。しかし彼らの場合、話すことはともかく聞くことすらできないのが一般的です。ルーツを持つことがイコールそのルーツの言語を使うことができるという等式が自然に成り立つと思われてしまう人は少なくないでしょう。とはいえ、これらの友人の多くは自分の母語を使うことができないことを後悔しています。日本での日常生活に必要ではない、または学ぶ場所のないことが母語を使うことができない理由です。私を含め、「母語教室」にいるボランティアたちは友人のような子どもたちが自分の母語を学ぶことができる居場所を作りたいと考えています。
母语教室
自从我成为一名大学生后,我就开始在一个国际交流中心的“母语教室”做志愿者。这个“母语教室”的对象主要是拥有外国血缘的在日外国人的孩子们。在这次的报告中,我想以我教学的拥有中国血缘的孩子们为中心,介绍拥有不同国家血缘的在日外国人的孩子们。
这些孩子大致可以分为两组。一组是因为在日本出生长大,所以很少与日语以外的语言有接触机会的孩子们。另一组是刚来日本,还不能熟练使用日语的孩子们。这些孩子们通过使用“母语教室”,可以做到即使身在日本也能够与自己的文化进行接触。目前,“母语教室”共分为:中文教室、泰语教室和西班牙语教室的3个教室。这个“母语教室”是孩子们可以遇见拥有着相同血缘的孩子的场所,同时也是可以结交伙伴的场所。更重要的是,在不忘记自己血缘的同时还可以与其他国家的文化进行接触(如烹饪和舞蹈等)。
在这个“母语教室”中,我所负责的中文“母语教室”的孩子们的汉语水平参差不齐。但是,唯一的共同点就是拼音普遍都不强。众所周知,在日语中平假名和片假名起着非常重要的作用。如果不会平假名和片假名,就不能说是会日语。中文也是一样的情况。因此,我在这个“母语教室”中主要负责教孩子们熟练使用作为汉语基础的拼音。此外,还教授汉字笔画的书写顺序、反义词和拟人法等广泛的基础汉语。另外,为了传播各国文化,国际交流中心还会不定期地进行各种活动。这些活动的惯例是所有“母语教室”的孩子们都需要参加,所以这也是可以和不同文化圈的孩子们进行接触的机会。举个例子,去年12月,我和所有“母语教室”的孩子们一起包了360个水饺。
其实,我有几个在日本认识的在日外国人和混血的朋友。每当我们知道他们所拥有的血缘时,我们总会问到“那么,你会说oo语吗?”但是其实对于他们来说,别说是说了,就连听都听不懂。其实在大多数人的心中都会有拥有某一个国家血缘就等于可以使用其语言这一等式吧。话虽如此,我的这些朋友中的大多数都为不能使用自己的母语而感到后悔。而他们不会使用母语的理由一是在日本的日常生活中并不需要,二是没有可以学习的地方。但是包括我在内,在“母语教室”里的志愿者们都希望能够创造一个可以让孩子们学习自己母语的地方。
日系ブラジル人の子ども
日本語コースの「グローバル化と日本社会1」という授業で、日系ブラジル人の子どもたちに関する統計データやTV番組の録画を見ました。そこで学んだことをふまえて考えてみると、日系ブラジル人の子どもたちは主に二つの状態に分かれています。一つは、ブラジル人学校に通って日本語を話すことができない状態です。もう一つは、日本語が全くわからないまま、いきなり日本の学校に転校して馴染むことができない状態です。この中で、私の注目を引いたのはブラジル学校に通う子どもたちのことです。この子どもたちの場合、ブラジル人としか交流をとらないように感じました。そのため、彼らは、日本に住んでいても、日本語を使うことができない、日本人の友達がいない、まるで日本で作り上げたもう一つのブラジルで生活しているように見えました。日本語を学んでいますが、生きるための必要品ではないので、一言でも話すのはかなり難しいことであると感じました。
これらの子どもの事情を見ると、私の英語能力のことを思い出しました。英語の勉強に数年間も時間をかけてきましたが、どうしても流暢に話すことができません。私のような人は少なくないでしょう。その理由は二つあると思います。一つは、英語が私の生活の中に必要品ではないためであることです。中国にいるときに中国語を話せばいい、日本にいるときに日本語を話せばいい、それが私の日常です。どう見ても、英語に必要性を見つけることができません。また、身近なところに英語を使うことができる場がありません。使わないと、徐々に忘れていくのは言語の特徴であるのではないでしょうか。その点では、自分の母語も同様です。
もう一つは、自分の快適な活動範囲から一歩でも踏み出すことができないことです。中国で生きるために必要である中国語と、日本で生きるために必要である日本語、この二つの言語が話すことができれば、生活に不安はありません。わざわざ英語に時間をかけ、苦労をする理由がないと思ってしまいます。正直言うと楽をしたい気持ちがかなり強いです。その結果、英語という言語に数年も時間をかけても、問題なく人と話すことができるレベルに到達できません。もちろん、これは大いに反省すべき点なので、今後は改善しなくてはいけないと思っています。
日裔巴西人的孩子
在日语学科的“全球化和日本社会1”的课程中,我观看了关于日裔巴西人的孩子们的统计数据和电视节目的录像。根据在这个录像中所看到的内容来看,日裔巴西人的孩子们主要分为两种状态。一种是,在日本的巴西人学校不会说日语的状态。另一种是,在完全不懂日语的情况,就突然转校到日本学校不能适应的状态。其中,引起我注意的是在巴西人学校上学的孩子们。这些孩子的绝大多数都只和周围的巴西人交流。因此,他们即使住在日本,也不会使用日语,且没有日本朋友,看起来就像是生活在在日本创造的另一个巴西。虽然有在学习日语,但是因为其并不是生活的必需品,所以就算是简单的说一句日语都显得十分困难。
当我看到这些孩子的情况时,不由得想起了我所学习的英语。就算花了好几年的时间学习,但怎么也说不流利。我相信像我这样的人不在少数。对此,我认为有两个原因。一是,因为英语并不是我生活中的必需品。在中国的时候说中文,而在日本的时候说日语就可以了。不管怎么看,我都找不到熟练掌握英语的必要性。此外,身边也没有可以使用英语的地方。如果长时间不使用的话,随着时间的流逝而慢慢地忘记就是语言的特性吧。在这一点上,即使是自己的母语也是一样的。
二是,踏出自己舒适的活动范围是一件相当困难的事。如果会说在中国生存所必需的中文和在日本生存所必需的日语,就不会对生活感到不安。这就会使我不禁觉得没有理由特意把时间花在英语上去辛苦学习。说实话,这其实是希望自己能够轻轻松松。而其结果就是,即使在英语这门语言上花了好几年的时间,也不能达到毫无障碍地和人进行沟通的水平。当然,这是我需要反省的地方,今后也必须进行改善。
*大学を受けるため、多くの努力をした。
为了顺利进入大学,做了许多的准备
道具or力
実際に、私も幼い頃から日本に来た一員です。中学校卒業後、親の都合で日本に来ました。しかし、その時の私はカタカナさえ読むことができませんでした。急にやってきた孤独感と不安で家から一歩も踏み出すことができませんでした。全く知らない国で生きることの大変さを痛感しました。私の場合、状況は日本語学校に通い、少しずつ日本語を使うことができるようになるとよくなりました。私は日本に来たことで、言語つまりコミュニケーションの大切さを実感しました。言語は人を不安にさせる道具にもなり、人を支える力にもなることができます。そのため、昔の自分と同じような子どもがいると、見過ごすことができず、全力で彼らのサポートに取り組んでいます。
工具or力量
实际上,我也是从小就来日本的一员。中学毕业后,我由于父母的原因来到了日本。但是,那时的我甚至连片假名都不会念。突如其来的孤独感和不安笼罩着我,使得我就连踏出家门一步的勇气也没有。我深切地感受到了在一个完全陌生的国家生活的艰辛。而我的情况是在日语学校中学习,掌握了部分日语后得到改善的。来到日本,我切身地感受到了语言也就是交流的重要性。语言既可以成为让人不安的工具,也可以成为支撑人生活的力量。因此,我对和从前的自己一样的孩子做不到视而不见,并且全力致力于支援他们。
この写真は、私が日本の高校で学業を頑張った証です。高校の先生方の応援のおかげで、無事、同志社大学に進学でき、多くの思い出も作れました。
这个照片是我在日本高中努力学习的证明。此外,多亏了高中老师们的支持,我不仅顺利考上了同志社大学,还留下了不少回忆。
日本語コース2年 陳暁麗
日语学科2年生 陈晓丽