海外各国からGCへ留学中の学生が、日本での学びをレポート。
日本で出合った新鮮な体験を生き生きと伝えます。
2021.11.18
<柊家>
2021年10月28日に、京都にあるおよそ200年の歴史のある柊家旅館を訪れました。柊家は最初、運送業と海産物商を営んでいましたが、途中からお仲間の商人たちの宿として旅館業を開始しました。以降、明治維新志士たちを始め、明治時代の皇族方、文豪、海外の著名人などを客として迎え入れました。現在もなお国内外の旅客をもてなしています。
在2021年10月28日,我們一行5人參觀了有大約200年歷史的和風旅館-柊家旅館。柊家在轉營為旅館之前是以運輸和海鮮的買賣為家族生意。之後,為了遠渡而來的商人提供住宿,逐漸變成了現在有名的旅館。自此,從明治維新的革命志士到明治時代的貴族政客,文豪,海外的名人都曾入住過這個旅館。至今,仍然迎接著想要享受老京都的待客之道而慕名而來的客人。
<石畳>
柊家は江戸末期から変わらず同じ地で京都とともに歴史を歩んできました。江戸の名残は入り口からすぐに見えます。入り口の格子戸(こうしど)から玄関までの道は石畳がひかれた道であり、どうやら人力車がそのまま乗り入れられる作りとなっています。私は人力車がここで荷物と人をおろしていたところを想像しながら、建物内に入りました。
柊家是從江戶時代後期就立在同一塊地上與京都共同經歷歷史上大大小小的考驗。進門的一瞬間開始,我們就已經可以看到江戶時代的痕跡,感受它的歷史。從入口的格子門到玄關還留著一段石子路。之所以鋪成石子路是為了方便人力車直接駛進玄關卸貨或讓客人下車。相信大家來這個旅館的時候也會跟我一樣想像了一下人力車就在我們面前走過會是什麼樣子,然後走進這個旅館。
<廊下>
私は廊下に入った途端、なにか現代の建物との違いを感じました。まるで時代劇で見た光景だと気づき、一瞬タイプスリップしたような気分になりました。その違いの「正体」は、天井の低さです。日本は古い建物、特に江戸時代に建てられた物だと天井が低いです。その理由は、そもそも江戸時代の人々は日本の歴史上最も身長が低いこと以外、侍や武士が刀を振りにくくする「暗殺防止」のためだとも考えられます。(逆に坂本龍馬は低い天井のせいで自分を守れなかったようですが。)
このように建物から感じられる歴史とともに、老舗旅館のおもてなしを体感するのが、柊家に泊まる醍醐味ではないかと想像してしまいます。
當我一進去江戶時代就留下來的舊館走廊,就感覺到有什麼東西跟現代的建築有所不同。就如同時光倒流,穿梭去了日本古裝劇裡面一樣。那個不同之處就是非常矮的天花板。日本的一些古老的建築物,尤其是江戶時代所建的建築物大部分都是採用矮天花的設計。理由眾說紛紜,但是有兩個說法我認為是相當可信的。第一就是江戶時代的日本人身高是歷史上最矮的,所以根本就不需要太高的天花。第二就是為了防止敵人偷襲。因為當時還存在日本武士,他們的主要武器太刀比較長。而這個矮天花則令他們沒有空間去揮動他們的太刀。(雖然明治維新的革命志士阪本龍馬也是因為這個矮天花而無法在類似的建築物裡保護自己而遇害。)
雖然這次只是參觀而不是真的住宿,但是可以想像一邊感受從建築物裡滲透出來的歷史,一邊享受著傳統日式旅館的服務,大概就是在這家百年旅館住宿的雅趣。
<部屋の案内>
今回の見学は、柊家の六代目女将―西村明美さんが案内してくださいました。先話した低い天井の廊下を抜けると、川端康成が宿泊していた十四号室がありました。西村女将は低い天井の廊下をくぐり、部屋を通して見えた庭はまるで、川端康成の「雪国」の書き出しを彷彿させるものがあると言いました。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
数多く案内された部屋の中で最も代表的な部屋は、川端康成が愛した十四号室、チャーリーチャップリンが抹茶を楽しんだ茶室が挙げられます。新館にはモダンかつ伝統的な工藝装飾が施された部屋もありました。実は、新旧館内における他の部屋も全部独特なところがあり、全く同じ部屋は存在しないと言っても過言ではありません。特に、江戸から昭和にかけて建てられた旧館では、部屋ごとに異なる額が大きく飾られ、仏教と神道の教えが書かれていました。違う部屋で泊まると異なる気分になるかもしれません。もっとも、お客さんと季節によって、部屋中の飾り物や花を変える柊家では、どの部屋でも毎回、唯一無二の宿泊体験ができるのではないかと思います。
這次的參觀是由柊家第六代女將―西村明美女士招待我們。穿過剛才說的矮天花走廊,是日本著名的文人,諾貝爾文學獎得主 川端康成 生前愛用的十四號房間。裡面的傢俱佈局,房間都保留著川端先生當年住宿的模樣。西村女將也有引用川端康成的著名小說《雪國》的開場白來介紹這個房間。
「穿過縣界長長的隧道,便是雪國。」
在柊家眾多的房間裡最具代表性的就莫過於方才說過的川端康成生前愛用的十四號房間、及美國喜劇電影大師査理・卓別林(Charlie Chaplin)訪日時曾稍作休息的茶室。此外,新館也有比較現代化,但又採用日本傳統工藝品的房間。其實,無論是新舊館,所有的房間都有其獨特之處,而且佈局都有所不同。在江戶到昭和時代建造的舊館內,每個房間都掛起了不同意思的牌匾,上面寫著佛教或者日本神道的箴言。另外,根據客人與時節,房間內會擺放相應的擺設與花卉(花道作品)。所以,無論住在哪一個房間,每次都可以享受到獨一無二的住宿體驗。
<終わりに;変わり続ける時代でも大切にすべきもの>
見学の最後に、西村女将が私たちを送り出す前に新館広間で少し月見の話をしてくださいました。私たちが見学をしたのは、月見する旧暦十三夜の日でした。西村女将は月見という行事の本来の意味を、人々は忘れつつあると仰いました。また、京都は行事が多いというのも、近所付き合いや伝統文化の継承などを大事にしてきた証とも述べました。見学している間、女将のお話から来客に対する優しさはもちろん、京都の伝統文化とそれを守ろうとする情熱を非常に強く感じました。
今回の見学を通して、柊家と京都と日本の関係性を考えさせられました。時間とともに日本は多くの物事が移り変わりましたが、京都がおよそ千年にわたって築き上げられた伝統文化と精神の中心地であることは変わりません。柊家も関係する人物と周りの風景がどう変わろうと、川端康成曰く「昔から格はあっても、ものものしくはなかった」佇まいに変わりありません。これが古今東西の宿泊客にとって休める「家」になるわけでしょう。
見学後に思ったのは、玄関に掲げた額の「来者如帰」という言葉通り、柊家の「我が家に帰ったようなおもてなし」をより多くの人に体験してほしい、ということでした。同時に、私も今度は見学ではなく、宿泊客として再訪したいと思いました。
在我們正要離開之前,西村女將跟我們說起了賞月的事情。參觀日10月18日,就是日本中秋的第二次賞月的日子。她表示現代人逐漸忘記節日慶典原來的意義。還講及京都本來之所以有很多祭典是因為京都人著重鄰里關係,及傳承傳統文化。在參觀的過程當中,我不單止感受到西村女將的待客之道,還強烈的感受到她對京都傳統文化的認識與熱誠。
通過今次的參觀,讓我對柊家與京都和日本的關係有所思考。世間無常,但是京都千年以來作為日本傳統文化與精神中心的地位是不變的。跟柊家相關的人物,周圍的環境跟江戶時代可以說是有天淵之別,但是就如川端康成所說的老京都旅館該有的「樸實無華」的感覺依舊不改。正是始終如一的精神讓古今東西的旅客感受到有「家」的感覺。
參觀以後,我深切的希望有更多的人體驗到這個讓宿客有「來者如歸」的感覺的待客之道。與此同時,希望下次不是以參觀者身分來訪,而是作為宿客享受一番。
グローバルコミュニケーション学部 日本語コース 3年生 馮栩(フォンヘイ)