GC学部の学生が学内外へ情報発信するGC学会の機関誌「Cosmos」の記事をお届けします。
(GC学会は、GC学部の全ての学生と教員で構成された学会です。)
2020.10.28
英語コース2年生
アリゾナ州立大学留学中
降幡千江里
「GC学部Zoomひろば!」の様子。
1. BLACK LIVES MATTER
恥ずかしながら私はニュースをあまり見る方ではないので、最初にこの事件について知ったのはInstagramからでした。ジョージ・フロイドさんが白人警察官に殺されたことをきっかけに、長い歴史の中でずっと苦しめられてきた黒人たちが声をあげて、たくさんの人が賛同・支持し、大きな運動へと発展しました。アリゾナでも、街でデモが起きたり、家族や友達どうしで話したりと、人々の関心の高さに驚きました。私もホストファミリーと一緒に黒人差別をテーマにした映画を見たり、普段は仲がいい家族がこの運動について話しているうちに喧嘩に発展したり、アメリカ人の友達が会話の延長でこの問題について話し合っていたりと、問題の大きさと、アメリカ人の意識の高さを肌で感じています。
今回の運動の特徴は、コロナの直後だったこともあり、InstagramをはじめとしたSNSが大きな役割を果たしたことだと思います。だからなるべく家に籠っていた私もたくさんの情報を得られました。アメリカの友達はもちろん、日本の友達も含め多くの人がBlack lives matter (以下BLM) についての情報や、それぞれの考え・想いをシェアしていました。誰でも発信できるから、今までなら聞けなかった、実際に差別を受けている人たちの話もダイレクトに聞けるし、自分も発信したり拡散できる、というのは大きなメリットだと思います。その分、取捨選択も必要ですが。一方で、誰でもなんでも発信できるから、人を傷つけてしまいやすいんですよね。悪意のこもったコメントだって直接送れちゃう。ただ、そういう人たちだけじゃなくて、どちらも悪くないのに傷つけあってしまうこともあるのが見ていて辛かったです。例えば、デモを起こす人たちを見て、コロナの感染者数拡大を懸念する人が彼らを責めたり、同じBLMを支持する動きでも、一つの動きがもう一つの動きを邪魔したりすることが起きちゃって。どれが正解か誰にも分からないんですが、それで本来の目的が同じ人たちがお互い傷ついていたり、それをSNSが助長してしまったり……。
だから、思ってることをそのまま表現すればいいんじゃなくて、相手の立場になって考えてから発信してほしいし、でも発信すること自体はやめないでほしいなって思っています。SNSって縛りがないからこそすごく難しいんですが、特にこういう社会問題や差別について発信するときは、すごく慎重に、いろんな立場の人の気持ちを考えながら発信したいですね。
また、この運動を通して感じたのは、学ぶことの大切さですね。差別についてって、自分が被害者じゃなかったら全然知らずに生きていけちゃうんですけど、やっぱりそれを知ることってすごく大事で、特に歴史背景は、知らないとなんで問題が起こっているのかが分からないし、知ることで気づくこと、考えることがたくさんあるはずです。せっかく情報に囲まれた時代を生きているので、閉ざさずに、耳を傾けることが大事だと思います。
BLMを通して日本の一部の人から上がった声が、「なぜコロナでアジア人差別が起きた時には誰も声を上げなかったのに、今、黒人についてはこんなに大きな問題になっているのか」。どちらも同じ人種差別なのに、と。ここからは私の考えですが、日本人が普段声を上げる、社会に対して立ち上がる、ということをあまりしないということに加えて、この問題においては、差別が起こっているのがアメリカだったのに対し、差別を受けている人たちは海の向こうにいたことが大きいのではないかと思います。自分の国にいるアジア人からしたらその差別は遠いところでの出来事であり、直接の被害も少なく、声を上げても届かないと諦めてしまいやすかったのではないでしょうか。一方でBLMはアメリカで起こったアメリカ人の問題で、他人事ではないと思った人がたくさんいて、それでこんなに広まったんですね。それを見て、「あの時何も言わなかったのになぜ今」という理由でBLMを批判するのは、筋違いではないかと思います。
世界中で数えきれないほど起こっている問題を一気に解決することは不可能で、一つ一つ考えていかないといけないと思うんです。今せっかく人々が立ち上がって世の中を変えようとしているのに、「自分は助けてもらえなかったから」と批判するのは、私は間違っていると思います。どっちが大事とか、どっちが優先とかじゃなくて、苦しんでいる人たちからしたらどれも深刻な問題です。だから自分たちが声を上げなきゃいけないんです。アメリカってそういう文化なんです。言わなきゃなにもはじまらない。黙っているのは中立じゃなくて、現状に味方していることになるんです。黙っているって、黙認ですよね。現状を認めてしまっているんです。文化の違いもありますが、日本もアメリカから見習わないといけない部分があるのではないでしょうか。今できることをして、一緒に声を上げたら、きっと自分のもとにも何かのかたちで返ってくると思うんです。
そもそも、黒人差別って、日本でも起こってるんです。例えば、オコエ選手や大坂なおみ選手がBLM運動を支持していたのはメディアでも取り上げられたと思います。特に、オコエ選手が本人のTwitterで綴った幼少期のいじめの話には多くの人が胸を痛めたのではないでしょうか。彼の父親はナイジェリア人ですが、彼は日本人なんです。でも、肌の色が違う日本人って、ほんの一握りですよね。学校に数人いるかどうか。割合があまりにも少なくて、肌の色の違いで苦しんでいる人が日本にいると、気付きもしない人も多いですよね。そして、そういう人たちが目の前にいるとき、自分たちは無意識に彼らを傷つけたり、呆れさせたりしているんです。
「ハーフ」と呼ばれる子たちは、どんなに「普通」の生活がしたくても、新しい出会いがあるたびに「ハーフ?」「どこの国?」と聞かれなきゃいけないし、オコエ選手のような辛い経験をしてきた人もたくさんいるんです。最近は外国人労働者も増えてきていますが、彼らも私たちの理解ない言葉に、見えないところで傷ついていると思います。日本では自分たちがマジョリティだからと安心して人種差別とは無関係だと思い込んでいる私たちが、気付かずに彼らを苦しめているのかもしれません。
だから、私たちはまず、気付かないといけないんです。BLMの問題について訴えている人たちの中でも、「関係ないと思っている日本の人たちにも気づいてほしい」っていう人たちが国内外にたくさんいました。「そうだよね、私たちもアジア人差別の被害者だもんね。」って言っている人もいましたが、逆です。私たちは加害者でもあるんです。それに気付くこと、自分が加害者だと認めることってすごくエネルギーがいるんですが、私がそれを最近経験したので、そのときの話をさせてください。
2. 私が加害者だった話
高校のときに留学したり、帰国子女の友達が多かったり、海外発祥の文化であるダンスをしていたりと、海外の文化や、海外に住んでいた人と関わる機会は多かった方だと思います。だから“普通”の日本人と“違う”人をたくさん見て、いろんな差別に少しずつ気付けて、でもそんな差別を受けている人たちの“違い”は“個性”でしかなくて、彼らがすごくかっこよくて輝いていることも知っていて。そして今、アリゾナでこの大きな問題を目の前で見て、今差別について人生で一番考えていると思います。でも、こうして差別について敏感になって学ぼうとすればするほど、心の隅のほうでずっと引っかかっていた出来事があって……。
ニュースでよく中国産のものが良くないとか、異物混入とか、見ますよね。母はそれにすごく敏感で、買い物中などに、中国産のものは買わない方がいいと小さい頃からよく言っていました。だから私は幼心になんとなく悪いイメージを持ってしまって。母も自分も、気づかないままレイシスト(=人種差別主義者)だったんです。更に、私の住む地域では外国人の観光客が多くて、大きな荷物を持った中国人が道を塞いでいるだとか、話し声がうるさいとか、母だけじゃなく、そういう話をしている大人をたくさん見てきました。もちろんそれが事実なときもあるんですが、中国人全員というわけでも、中国人だけがそうだってわけでもないですよね。でも悪気ない大人たちの言葉を聞いて、私のなんとなく悪いイメージは少しずつ濃くなっていきました。
ある日、授業のディスカッションで「外国人が日本にたくさん訪れるメリットとデメリット」みたいなテーマについて話し合ったことがあって、隣の友達とディスカッションをしました。その子は中国人とのハーフだったんです。でも中国人とのハーフなんて見た目では分からないじゃないですか。だからその瞬間、そのことを完全に忘れていました。私はその子に、デメリットの方を主張しました。その理由として、中国人観光客のことを例に出しました。中国人うるさかったりするじゃん、と。彼女はそこで「ひどい」ってつぶやいて、ちょっと傷ついた顔をしました。そこで私はあっ、って気付いたけど、素直にすぐ謝れなくて、タイミングを見失ったまま、次の日にはお互いいつも通り過ごしていました。でも、スーパーの食材や街中の中国人観光客、それに対する母の反応を見るたびに、自分の中でそのことが胸に刺さったままで……。
そんな中、BLMの問題が起きました。私の知り合いに、LGBTの人がいて、その人が「マイノリティについてどう思う?」って、SNSで皆に向かって聞いていて、私はそのとき初めてこの出来事を人に話しました。するとその人は、自分が申し訳ないって思っているって本人に言ってあげるだけで全然違うよってアドバイスしてくれました。自分がLGBTだって親に言ったとき親に「ごめんね」って一言言われて、それだけで今まで抱え込んでいた全てがどうでもよくなるくらい楽になれたから、と。
このタイミングを逃したらもう言えないと思って、私は彼女にボイスメッセージを送ることにしました。自分が加害者って認めるには想像を絶するエネルギーが必要で、深夜に30分くらいスマホとにらめっこした挙句、約7分、泣きながらのボイスメッセージを送りました。結果、彼女はその話を覚えていませんでした。でもそれは、どうでもよかったからじゃなくて、「『あー、またか』って思ったからなんだよ」って言われて。彼女は日本で育った中で、私みたいに中国のことを何気なく悪く言う人の言葉を散々聞いてきたんです。その悪気なく言った言葉が、毎回毎回、彼女には刺さっていて、忘れるしかなくて、自分も彼女を苦しめたうちの一人で。でも彼女は怒るんじゃなくて、ありがとうって、次そういう会話があったら、その人の為になることを教えられるようにするねって、言ってくれたんです。自分じゃなくて相手のことを考えてあげられるくらい彼女には余裕があって、それがすごくショックで、もう絶対二度と差別で人を傷つけたくないなって心の底から思いました。
それから一週間後、リーダーシップ育成のワークショップに参加する機会がありました。オンラインだったため、いろんな国からの参加者がいました。その中で“Hear my story”というアクティビティがあり、そこでこの話をしました。その中に中国人の子もいて、その子は私の話を聞いて、なぜ中国産のものが低価格で低品質なのか、その背景を淡々と、優しく話してくれました。中国には貧しい地域も多くて、そこに住んでいる人たちにとっては、そういった商品の工場が収入源なんです。私たちが当たり前のように受けている教育も十分に受けられない環境で育った人たちが生きるために作ったものが、いいように安く買われて日本で売られているのを見て、私たちはその品質を批判しているんです。それなのに、その話をしてくれた子や、聞いてくれいていた人たちは、私たちも日本の高品質なものが大好きだよって日本のこと褒めてくれたんです。今まで差別していた自分がすごく惨めで醜く感じました。
2020 TRUE LEADERSHIP CONFERENCEで“Hear my story”をシェアしたチームのメンバー
アメリカで見たBLMの問題や、自分が加害者だった経験を通して、差別がいかに愚かなことかを改めて感じました。全ての差別について完璧に知ることは不可能ですが、それでも少なくともここグローバル・コミュニケーション学部では、知ろうとする義務があると思います。そして何より、声を上げることの大切さを痛感しました。自分が加害者で悪かったと思っているなら伝えてあげてほしいし、自分が被害者だったり、被害者に気付いたりしたら、今こんなことが起きているんだよって発信しないといけないんです。伝える相手がたった一人だったとしても、届けば何か変わるかもしれない。たった一人の意見を変えるだけでも、すごく意味があることなんです。とんでもなく大きな問題なのに、こうやって一人一人が少しずつ努力しないと解決しないんです。まず知って、学ぼうとすることがスタートラインだと思います。耳と心をオープンにして、拒まずに聞いてみてほしいです。感じたことはシェアしてほしいですが、そのときは誰かを傷つけないように気を付けながら。ここ一ヶ月ほどでここまで考えさせられるって、やっぱり留学で学べることって果てしないですね。